蛇神ナーガを吐き出す伝説の水棲幻獣「マカラ」

マカラとは、古代インド神話に登場する水棲の想像上の幻獣である。多くの場合ワニをモチーフに蛇神ナーガと合わさった姿で表現され、水に関わる聖なる生き物として寺院の階段や屋根、壁に魔除け守護神として祀られている。

チェンマイの寺院ではマカラと蛇神ナーガのセットでよく見かける。ところが周りのタイ人にいろいろ教えてもらおうとするが、足を持つマカラの存在を見落としマカラ+ナーガで蛇神ナーガ(パヤナーク)と認識している人が多いように思う。

チェンマイのワット・サンティタム寺院の本堂入口への階段 マカラが大きく口を開け蛇神ナーガ(パヤナーク)を吐き出している 5本指の足がある

チェンマイ郊外のワット・バンデン寺院 マカラもナーガもとても大きい

チェンマイのワット・クータオ寺院 二重のマカラ

チェンマイのワット・ロークモーリー寺院

チェンマイのワット・チェンマン寺院

チェンマイのワット・ラーチャモンティアン寺院 火事除けのマカラ

チェンマイのワット・サンティタム寺院 本堂の小さな窓の外もマカラが守っている

【参考】蛇神ナーガ(パヤナーク)が単体でマカラが存在しないタイプ

このような見方を持てば寺院巡りの楽しみがまた一つ増える。

わがコンドにヒンドゥーの四面神「ブラフマー」が祀られている

ブラフマーは4つの顔と4本もしくは8本の腕を持ち、東西南北の全方向を見渡している。全ての神々や人間、動植物などあらゆるものを生み出したとされている。ブラフマーは、ヒンドゥー教における宇宙の「創造神」で、維持を司るヴィシュヌ、破壊を司るシヴァとともに「三大神」の一柱に数えられ、世界のサイクルの中で万物を生み出す役割を担っている。仏教に取り入れられて「梵天(ぼんてん)」という守護神になった。仏陀(お釈迦様)が悟りを開いた際、その教えを多くの人に広めるよう勧めた神としても知られている。

わがコンドミニアムの敷地内にそのブラフマー四面神が祀られているが、正面の顔は北を向いて佇んでいる。お供え物などは主にコンドの住人がおこなっている。毎週土曜日の朝7~8時にバナナなどの食べ物をお供えし線香をあげお祈りをする。そしてお供え物は30分ほどしたら下げ、分け合って頂くと幸せになれる、という。

わがコンドミニアムに祀られている8本の腕を持つ「ブラフマー」四面神

毎週土曜日の朝にバナナなどのお供え物をし線香をあげお祈りをする。お供え物は30分ほどしたら下げ、それを分け合って頂くと幸せになれるという

正面の顔は北を向いて、右足を上げて腰かけている

正面左側の顔は東を向いている。手に水壺を持っている

背面の顔は南を向いている。タイ人に聞くと手に持っているのは日本でいう手裏剣というが本当かな…

手に持っているのは「ヒンドゥー教の聖典ヴェーダ」、ほら貝のような形をした「水壺」これは宇宙の根源である水(命の源)を入れ、すべての生命を生み出す力の象徴、円盤のようなものは「スプーンか鏡」、が見える

タイ人も意味が分からないヒンドゥー語をタイ文字化したお祈り、これを3回唱えるようになっている

夜は電球が灯される

ブラフマー四面神はあくまでもヒンドゥー教の神というが、中にはすでに仏教の中に取り込まれているので仏教というタイ人もいる。

チェンマイのワット ローク モーリー寺院 วัดโลกโมฬี

チェンマイ旧市街の北側のお堀沿いに佇む寺院「ワット ローク モーリー」 レンガ造りの大きな仏塔にはラーンナー王国第12代ケートクラオ王とチラプラパー女王の遺骨が納められている。この寺院はラーンナー王朝のメンラーイ王家と深い縁があり、王族の菩提寺として重要な役割を果たしてきた。

通り沿いに「ワット ローク モーリー寺院」の表札が大きく掲げられている

格調高い塔の下をくぐり境内へ

もう一つの大きな入場口

お堂のそばには白象と仏蛇ナーガがいる

お堂入口上にはお釈迦様の生涯が描かれている

お堂に安置されている黄金の仏像

レンガ造りの大きな仏塔 ここにはラーンナー王国第12代ケートクラオ王とチラプラパー女王の遺骨が納められている

珍しい銀色の立像

四方を向いたヒンドゥー教の黄金の四面神ブラフマー神も祀られている

お堂はラーンナー様式で三段重ねの屋根になっている

水の神様パヤナークの王様像

中国には「龍」がいて、タイには龍はいなくて「蛇」ナーガがいる。

チェンマイの古いワット チェン ユーン寺院 วัดเชียงยืน

ワット チェン ユーン寺院 วัดเชียงยืน は、チェンマイで2番目に古いといわれている旧市街北側のお堀沿いに佇む小さな寺院。タイ様式とは趣を異にした美しい仏塔と金色に輝く大きな仏像が特徴である。お坊さんにちょっと尋ねたらいろいろ親切に教えてくれた。「仏塔は700年前に建立され、200年前に修復された。あの大仏は10年前にたった1日で造られた」と。 この寺院のすぐ横に小学校があり、児童たちが本堂に集められ女性の先生による指導が行われていた。

ワット チェン ユーン寺院の門

門をくぐり抜けると黄金の大仏と白い仏塔に迎えられる

僧侶によると、仏塔は700年前に建立され、200年前に修復されたという

白い仏塔はなかなか見かけない

地震の影響か…壊れている部分もある

大仏の背後にある階段を上る

僧侶によると大仏は10年前にたった1日で造られたという。頭上に傘

大仏様に捧げるお祈りの言葉が刻まれている

人懐っこい猫がいる

さほど大きくない本堂

本堂の内部を入口から見る

お釈迦様の教えを受ける僧侶たち 天界に住む天女

水底・水中・水面・水上の4種類の蓮 蓮は人間という それらをお釈迦様が見ている

寺院のすぐ横に小学校があり、教師が児童たちを本堂に集める

寺院の本堂が学校の講堂の役目も果たし、僧侶ではなく教師が児童たちを指導していた

仏像の前には蓮が配されている

ヒンドゥーの神様

黄金のお釈迦様の周りに黄金のラーマ5世像(左前後2体)とラーマ1世像(右奥)…と僧侶が説明してくれた

左の箱にタンブンしたら僧侶に「コプクンクラップ」ありがとうございます、と言われなんか不思議な感覚になった

ヤシの実が落ちてくるので注意してください、と僧侶に真剣に言われた

未来が明るくなるように銅鑼を叩くという

ヒンドゥーの神様も祀られている

エメラルドの仏像が3体並んでいる

金曜日生まれの自分の守護仏は、一番左の両手を胸の前で交差し、右手を左手の上に重ねて静かに立っている立像「熟慮・瞑想の仏陀」の前で手を合わせタンブンした

丁寧なトイレの案内標識

【資料】ヒンドゥー教の神々の関係図

子供のころタイは仏教国と教わった記憶があるが、タイの仏教は幅が広く奥が深すぎて難しい。

ラーマ8世発行の貨幣

ラーマ8世 (รัชกาลที่ ๘) の本名はアーナンタ・マヒドン国王 อานันทมหิดล(1925-1946)、通称アーナンタ国王、マヒドン国王と呼ばれている。1925年9月20日ドイツのハイデルベルクで生まれた。1928年に初めてタイに帰ってきた。ラーマ5世の孫で、ラーマ6世やラーマ7世の甥にあたる。1946年6月9日(満20歳)死去。在位期間は1935年~1946年

10サタン (1/10バーツ) 白銅 1937年発行

タイ文字中央下 ๑๐=10 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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5サタン (1/20バーツ) 白銅 1937年発行

タイ文字中央下 ๕=5 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1/2サタン (1/200バーツ) 銅 1937年発行

タイ文字中央下 ๑/๒=1/2 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1/2サタン (1/200バーツ) 銅 1937年発行

タイ文字中央下 ๑/๒=1/2 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1941年発行

タイ文字左 ๑=1 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1941年発行

タイ文字左 ๑=1 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1941年発行

タイ文字左 ๑=1 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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10サタン(1/10バーツ) 銀 1941年発行

タイ文字左 ๑๐=10 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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20サタン(1/5バーツ) 銀 1942年発行

タイ文字左 ๒๐=20 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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10サタン(1/10バーツ) 錫 1942年発行

タイ文字左 ๑๐=10 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 錫 1942年発行

タイ文字左 ๑=1 タイ文字右 สต=สตางค์(サタン)

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25サタン(1/4バーツ) 錫 1946年発行

タイ文字左下 ๒๕=25 タイ文字右下 สต=สตางค์(サタン)

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5サタン(1/20バーツ) 錫 1946年発行

タイ文字左下 ๕=5 タイ文字右下 สต=สตางค์(サタン)

ラッタナコーシン島からトンブリーへの交通渋滞を緩和するための王室プロジェクトとして「ラーマ8世橋」が建設された。ウィスット・カサット通りとアルンアマリン通りを結ぶチャオプラヤー川を渡るこの橋は、非対称の斜張スタイルで世界で5番目に長い橋としてバンコクのランドマークにもなっている。

ラーマ7世発行の貨幣

ラーマ7世(รัชกาลที่ ๗)の正式名は พระบาทสมเด็จพระปรมินทรมหาประชาธิปก พระปกเกล้าเจ้าอยู่หัว(1893-1941)で、通称はポッククラオ王 ปกเกล้า であり、また幼名をプラチャーティポックサックディデート というため、その一部を取ってプラチャーティポックとも呼ばれる。在位期間は、1925年から1935年までの11年間で、1925年に即位したラーマ7世の最大の課題は、先代のラーマ6世時代の放漫財政による財政赤字問題の解決であった。さらには1929年に世界恐慌が起こると、タイの輸出は激減し、タイ経済は壊滅的な打撃を受けた。そのためか銀貨の発行枚数は少ない。

表はラーマ7世の胸像、タイ文字左はプラチャーティポック、裏はシャム王国のシンボルの象 50サタン (1/2バーツ) 1929年発行 銀65% 銅35% 25.25 mm 7.49 g

下のタイ文字 ๕0=50 สต=สตางค์(サタン)

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表はラーマ7世の胸像、タイ文字左はプラチャーティポック、裏はシャム王国のシンボルの象 25サタン (1/4バーツ) 1929年発行 銀65% 銅35% 20.3 mm 3.73 g

下のタイ文字 ๒๕=25 สต=สตางค์(サタン)

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5サタン(1/20バーツ) 銀 1926年発行

タイ文字中央下 ๕=5 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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5サタン(1/20バーツ) 銀 1926年発行

タイ文字中央下 ๕=5 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1926年発行

タイ文字中央下  ๑=1 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1929年発行

タイ文字中央下  ๑=1 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

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1サタン(1/100バーツ) 銅 1931年発行

タイ文字中央下  ๑=1 タイ文字右側=สตางค์(サタン)

バンコクにラーマ7世博物館「プラチャーティポック王博物館」がある。チャクリー王朝7代目のプラチャーティポック王の生い立ちから所有物までが展示されている。

ラーマ7世は 1925~1935年のわずか11年間の在位期間だったが、タイ王国(シャム)における最後の絶対君主であり、最初の立憲君主である。

ラーマ6世発行の貨幣

ラーマ6世 รัชกาลที่ ๖ の正式名はモンクットクラオ王 พระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว(1880-1925)で、通称ワチラーウット王 วชิราวุธ と呼ばれている。即位期間は1910年から1925年。統治域は現在のタイ領土およびカンボジアとラオスで、主な功績は、義務教育制度の導入、チャオプラヤー河にかかる最初の橋(プット大橋)の建設、ドンムアン空港の整備、銀行の創設、シャム赤十字協会の設立、名字令の制定、多妻制の廃止、仏歴の採用、国際連盟への加入などタイの発展に大きく貢献した。

表はワチラーウット王(ラーマ6世)の胸像、裏の3頭象の銘刻はシャムの威厳を表す
1バーツ 銀90% 銅10% 1915年発行 5,000,000枚 30.4 mm 14.95 g

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ワチラーウット王(ラーマ6世)の胸像、裏の3頭象の銘刻はシャムの威厳を表す
2サルーン (1/2バーツ) 銀50% 銅50% 1919年1月16日発行 3,230,000枚 25.3 mm 7.45 g

銀と銅の割合は発行年月日によって異なる
1915年8月18日発行 銀80% 銅20%
1919年1月16日発行 銀50% 銅50%
1919年7月2日発行 銀65% 銅35%
1920年8月19日発行 銀65% 銅35%

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1サルーン (1/4バーツ) 銀 1924年発行 20.3 mm 3.69 g

1サルーンも2サルーンと同様に銀と銅の割合は発行年月日によって異なる

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1サルーン (1/4バーツ) 銀80% 銅20% 1915年発行

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1サルーン (1/4バーツ) 銀 1917年発行

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10サタン 銀 1913年発行

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10サタン 銀 1920年発行

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10サタン 銀 1921年発行

ラーマ6世は、歴代の国王を「ラーマ〇世」と呼ぶことに決めた国王である

ラーマ5世チュラーロンコーン大王発行の貨幣

ラーマ5世 รัชกาลที่ ๕ (1853-1910) の正式名はチュラチョームクラオ王,通称名チュラーロンコーン大王 พระจุลจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว という。スコータイ王朝のラームカムヘーン大王,アユタヤ王朝のナレースワン大王と共にタイの三大王と称されている。15歳で即位(1868-1910)し,奴隷売買の廃止,中央集権国家の確立,官僚制の導入,学校教育の開始,鉄道の建設,郵便・電話事業の開始など数々の功績を残し,現在でも国民からの人気が高い。
ラーマ5世が即位した1868年頃のタイ(シャム)は,現在の領土のみならず現在のラオスのほぼ全域やベトナムの北部,カンボジア西部,さらにはマレーシアの北部までをも勢力下に収めた大国だった。もっともチャクリー王朝の直接支配はその全域に及んでいたわけではなく,地方の小領主がバンコクの王室に服属し,結果として緩やかな連合国家を形成していたという。

表はラーマ5世胸像の銘刻,裏は光が差したシャムの王冠(モンクート),下には3つのエンブレム,その両脇に剣と王の傘をもったライオンが描かれている。このコインは1901年から1907年まで毎年発行されている。裏面の下部に120から126までの番号が刻印されているが,120は1901年発行で,126は1907年発行である。しかしこのコインにはその数字が打っていないので,1901年以前の発行と考えられる(1876年発行という説もある) 1バーツ 銀 31.2 mm 15.14 g

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裏面下の番号は121 1902年発行


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裏面下の番号は122 1903年発行


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裏面下の番号は124 1905年発行

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表はモンクート王(ラーマ4世)の宝冠,裏はチャクラ輪,星の数は8個
1869年発行 1バーツ 銀 31.1mm 15.20 g 1914年まで使われた

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表はラーマ5世胸像の銘刻 裏は光が差したシャムの王冠(モンクート) 下には3つのエンブレム 下部の数字は125 1906年発行  1/4 バーツ 銀 21.0 mm 3.74 g

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裏面下部に数字の刻印なし発行年不詳 この1/8 バーツのシリーズは,1901年から1908年まで毎年発行(121~127)されている 1/8 バーツ 銀 15.8 mm 1.86 g

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表はモンクート王(ラーマ4世)の宝冠 裏はチャクリー輪 星は1個
1869年発行 1/8 バーツ (1ファン) 銀 15.4 mm 1.98 g 1909年まで使われた

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1アット 1887年発行 銅

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1アット 1890年発行 銅

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1/2 アット 1890年発行 銅

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1/2 アット 1890年発行 銅

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1アット 1895年発行 銅

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1アット 1895年発行 銅

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2アット 1899年発行 銅

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1アット 1899年発行 銅

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2アット 1902年発行 銅

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1アット 1903年発行 銅

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2アット 1905年発行 銅

ラーマ5世チュラーロンコーン大王のフルネームはとても長い:

พระบาทสมเด็จพระปรมินทรมหาจุฬาลงกรณ์ บดินทรเทพยมหามงกุฏ บุรุษยรัตนราชรวิวงศ์ วรุตมพงศบริพัตร วรขัติยราชนิกโรดม จาตุรันตบรมมหาจักรพรรดิราชสังกาศ อุภโตสุชาติสังสุทธเคราะหณี จักรีบรมนาถ มหามงกุฎราชวรางกูร สุจริตมูลสุสาธิต อรรคอุกฤษฏไพบูลย์ บุรพาดูลย์กฤษฎาภินิหาร สุภาธิการรังสฤษดิ์ ธัญลักษณวิจิตร โสภาคยสรรพางค์ มหาชโนตมางคประณต บาทบงกชยุคล ประสิทธิสรรพศุภผลอุดมบรมสุขุมมาลย์ ทิพยเทพาวตารไพศาลเกียรติคุณอดุลยพิเศษ สรรพเทเวศรานุรักษ์ วิสิษฐศักดิ์สมญาพินิตประชานาถ เปรมกระมลขัติยราชประยูร มูลมุขมาตยาภิรมย์ อุดมเดชาธิการ บริบูรณ์คุณสารสยามาทินครวรุตเมกราชดิลก มหาปริวารนายกอนันต์มหันตวรฤทธิเดช สรรพวิเศษสิรินธร อเนกชนนิกรสโมสรสมมติ ประสิทธิ์วรยศมโหดมบรมราชสมบัติ นพปฎลเศวตฉัตราดิฉัตร สิริรัตโนปลักษณมหาบรมราชาภิเษกาภิลิต สรรพทศทิศวิชิตชัย สกลมไหศวริยมหาสวามินทร์ มเหศวรมหินทรมหารามาธิราชวโรดม บรมนาถชาติอาชาวศรัย พุทธาทิไตรรัตนสรณารักษ์ อดุลยศักดิ์อรรคนเรศราธิบดี เมตตากรุณาสีตลหฤทัย อโนปมัยบุญการ สกลไพศาลมหารัษฎาธิบดินทร ปรมินทรธรรมิกหาราชาธิราช บรมนาถบพิตร พระจุลจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว

ラーマ4世発行の貨幣

ラーマ4世 รัชกาลที่ ๔ の本名はチョームクラオ จอมเกล้า で、幼名をモンクート มงกุฎ と呼ばれていたためか、一般にはその呼び名で知られている。もともと兄のラーマ3世よりも王位継承権があったが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けた。在位は1851年から1868年までの17年間である。ラーマ5世チュラロンコン王の父。功績は、イギリスと通商条約を結ぶなど、それまでの鎖国状態から門戸を開放し、タイに西洋式の扁平の貨幣を初めて導入した。

英国のクイーン・ヴィクトリアからラーマ4世に贈られた造幣機でつくられた。おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘
2バーツ 1863年発行 銀 37.5 mm 30.49 g 厚みがある。発行枚数は少ない 

裏面はチャクリー輪の中央に象、周りの星の数は16個

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英国のクイーン・ヴィクトリアからラーマ4世に贈られた造幣機でつくられた。おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘
1バーツ 1860年発行 銀 31.2 mm 15.23 g 

裏面はチャクリー輪の中央に象、周りの星の数は8個

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英国のクイーン・ヴィクトリアからラーマ4世に贈られた造幣機でつくられた。おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘
2バーツ 1860年発行 銅 38.6 mm 22.20 g 
 

裏面はチャクリー輪の中央に前足が高い位置にある象

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前面にラーマ4世の打刻印 銀 15.10 g

上面にチャクリー王朝の打刻印

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前面にラーマ4世の打刻印 銀 15.10 g

上面にチャクリー王朝の打刻印

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前面にラーマ4世の打刻印 銀 15.30 g

上面にチャクリー王朝の打刻印

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おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘 銅 28.3 mm 9.12 g

裏面はチャクリー輪の中央に象

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おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘
1アット(1/8 フェン、1/64 バーツ) 1862年に貝の貨幣に代わって発行、1868年11月15日まで使用。 錫 29.2 mm 7.35 g 

裏面はチャクリー輪の中央に象、下に「方片捌」 右に「F」 左に「1/8」

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おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘

裏面はチャクリー輪の中央に象、下に「方片捌」 右に「F」 左に「1/8」

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おもて面は中央にモンクート王の王冠、両側に国王の日傘

裏面はチャクリー輪の中央に象、下に「方片捌」 右に「F」 左に「1/8」

ラーマ4世は、日本でもミュージカル「王様と私」で知られている王である。

タイ南部パッタニー王国の貨幣

パッタニー王国は、14世紀から19世紀にかけてマレー半島に存在したマレー人の王朝である。マレー系王朝の中でもいち早くイスラム化し、マレー半島のマレー系王朝の中で最も歴史が古い。その領土は現在のタイ南部パッタニー県を中心に展開したが、スコータイ王朝、アユタヤ王朝などの支配下にあった。アユタヤ王朝がビルマに滅ばされるとパッタニー王国は完全に自立したが、バンコクにチャクリー王朝が成立し、その君主ラーマ1世はパッタニーを再び征服し小邦に分割して支配した。その後ラーマ5世(チュラーロンコーン王)のチャクリー改革の一環としてパッタニーは中央政府の直接統治下に編入されたが、住民のイスラム意識が強く、その後も暴動・反乱が絶えなかった。現在でも旧パッタニー王国領の一部の地域である深南部3県では、住民のタイ政府に対する反発と、黄金時代のパッタニーへの憧れから、パッタニー王国再興を大義名分にした分離独立運動の動きがある。

むかし学生のころ南タイのトランやナコーンシータマラートを旅していると「パッタニーは警察や駅や学校が爆破されるかもしれないので危険だから行かないほうがいい」と諭されたことが何度かある。逆にマレーシアからタイに列車で戻ってくるとき一度だけタイ国鉄パッタニー駅を通ったことがある。

下に挙げるパッタニー王国の貨幣は、昔タイ南部ナコーンシータマラートの古銭商で入手したものである。

23.5 mm 2.91 g

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24.9 mm 2.98 g

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30.0 mm 6.73 g

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21.7 mm 2.88 g

タイ語では ปัตตานี、マレー語では Patani、Pattani、日本語ではパッタニー、パッターニー、パタニと表記される。