「ホアロー捕虜収容所」は、植民地時代にフランスによって造られた監獄で、フランス敗戦後も、ベトナム人民軍の捕虜収容所として使われた。現在はその一部が博物館として公開されており、独房、集団房、拷問の道具、処刑台や当時の様子を描いたレリーフなどが展示されている。フランス植民地時代には、フランスの支配に抵抗するベトナム人がここに捕らえられ投獄された。
レリーフにはフランス軍から拷問を受け、こぶしを挙げて抗議するベトナム人の姿が描かれている

捕虜となった人が足を鉄の板にはさまれ、まったく身動きできない状態にされていた。女性や子供も、足かせだけでなく、首にも固定版をはめられ、身動きが取れないように虐待されていた

集団房の扉、最も多い時は全体で2,000人以上が収容されていたという

「ギロチン台」フランス軍に抵抗するベトナム人が捕らえられ、このギロチンによって処刑された。鋭くとがった巨大な刃、その上に重たそうなおもり、首を固定する台、その下には、切り落とされた頭と血を受ける箱。想像するだけで気持ち悪くなった
刑が執行される前に、あるベトナム人はこう叫んだ「国を奪われた私たち。侵略者のあなた方。生死を賭けた戦いにおいては、最後に私たちが必ず勝利するだろう」
ベトナムはその後、欧米列強から自由と独立を勝ち取った

独房のようす。薄暗い中に捕虜となった人が両足を鉄の板にはさまれ、まったく身動きできない状態にされていた。日々粗食と水のみで、水腫を引き起こし、多い時にはひと月に40人以上の人が亡くなった

ホアンキエム湖畔で寛ぐハノイ市民。湖の中央に「亀の塔」

今のハノイ















フランスが造った悲しき遺物「ホアロー捕虜収容所」は、ベトナムの歴史が生んだ悲劇の産物。ベトナムといえば南北ベトナムと米軍参戦によるベトナム戦争が真っ先に思い浮かぶが、その前のフランス統治時代のベトナムの悲惨な歴史も忘れてはならない。
Hanoi, N.Vietnam