ポル・ポト政権時代に、罪なき人々が大量に処刑され、遺体が埋められた場所を「キリングフィールド」と呼ぶ。後に掘り起こされたときにできた大きな穴には今植物が覆いかぶさり、綺麗な花を咲かせ、蝶が乱舞していた。
慰霊塔内部には、おびただしい遺骨が収容されている。ここは17段に分かれているが、これはポル・ポト派がプノンペンに侵攻し、大量虐殺が始まった1975年4月17日の「17」を表している。
キリングフィールドの入口にそびえたつ「慰霊塔」

夥しい遺骨が収容されている

ポル・ポト派によって処刑された罪なき人々の悲痛な叫びが聞こえてくる

今の「キリングフィールド」・・

今の「キリングフィールド」・・

あまりにも生々しい「トゥール・スレン虐殺博物館」元は高校の校舎で、ポル・ポト派が、捕らえられた罪なき人々に虚偽の自白書を書かせるために激しく拷問した場所で、そこがそのまま博物館として、ポル・ポト派の残虐行為を今に伝えている

ポル・ポトの思想は、原始時代のような農耕・狩猟生活を理想とし、皆んなで野山で平等に生きることを理想とする思想で、「民主カンプチア」と呼ばれる非常に偏ったものだった。
その思想は、学校教育をはじめ、医師の持つ医療技術や技工士が持つ専門技術、弁護士が持つ法律知識などを排除すべきという考え方で、彼は農民こそが革命を起こすべきだと考えていたために、知識人層を一切排除し新たな理想の国を作ることを思い描いていた。そのために大量虐殺が手段として選ばれ、その結果300万人もの罪なき人々が殺害された。
「キリングフィールド」も「トゥール・スレン虐殺博物館」もヘッドホンをして日本語の音声ガイドの説明に従い見学したが、どこの国の旅行者も同様重たく、辛そうな面持ちだった。
Killing Fields, Phnom Penh, Cambodia