(1)ナコーンシータマラートにある慰霊碑
第二次世界大戦中、日本軍は大東亜共栄圏構想によりナコーンシータマラートにも上陸した。部隊の目的はイギリス植民地のマレー進攻であったが、ナコーンシータマラートにおいてもタイ国軍との戦闘が発生した。これにはタイ側の情報伝達の遅れにも起因したという。日本軍としてはタイ南部はマレー進攻のための通過地、 駐屯地としての認識が強かった。
昭和16年12月8日未明、タイ側からすれば突如侵入してきた日本軍と戦闘状態になったが、結局、日タイ間で軍隊通過協定が8日正午ごろ成立し、それで戦闘は終結した。
その後、日本とタイの交渉は急速に進み、12月21日に日タイ同盟条約が正式調印され、それに基づく日タイ共同作戦に関する協定が翌17年1月3日に成立している。
さらにタイは1月25日、米英に対して宣戦布告し、枢軸国側の一員となった。
昭和16年12月8日未明、突如侵入してきた日本軍と果敢に交戦したタイ国軍兵士の銅像

モニュメントの説明

慰霊碑には、タイ人の犠牲者の名前が刻まれており、若い人や軍人がお参りしていた。僕が頭を下げながら日本語で「ごめんなさい」とつぶやいたら、微笑んでくれました

(2)カンタンにある日本軍が掘ったトンネル
インド洋側のタイ国鉄の終着駅カンタンから少し離れた小高い丘に、第二次世界大戦中に日本軍が掘って使用していたトンネルがある。訪問した日はちょうど地元の小学生が見学に来ていて、先生が説明をし、児童たちに「2482~2488年」を何度も複唱させていた。タイ仏歴2482~2488年は、1939~1945年にあたる。
地元の小学生が大戦中に日本軍が掘ったトンネルを見学に来ていた

トンネルの入り口には銃を持った日本兵の像があり、タイ語で「日本軍のトンネル」と記されている

トンネルの内部は特に何があるわけでもない

トンネルを出ると視界が広がり、遠くにトラン川が見える

トンネルの外には日本軍が使用した大砲もある

タイの地方を旅していると、日本とタイの繋がりを考えさせられることがある。今回は、第二次世界大戦中の日本とタイ南部の関係を考えさせられた。
若い頃は昆虫の分布や分類を通してタイを見てきたが、歳を重ねるごとに視野が広がってきた。
こういう歴史を見ると、何故タイ人があんなに日本人に優しく、親日家が多いのかちょっと不思議です。
中国や韓国はやはり未だに第二次世界大戦に関して、日本を目の敵にしていますので。
教育なのでしょうか。どうなのだろう。
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コメントありがとうございます。 深甚なる仏教の教えと関係があるかもしれませんね・・ タイ人大好きです(^ム^)
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仏教の教え!!
タイ人は自分がどんなに経済的に恵まれなくていなくても、災害の寄付やボランティアは積極的に行うようです。「前世で善行を積む」の教えなのでしょうね。
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雨も少ない貧しい農村にも立派なお寺があり、毎日お坊さんに托鉢をかかしません。心はとてもリッチなようです。幸せって自分の心が決めるようです。
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