タイ国鉄ロッブリー駅近くに広がるクメール建築ロッブリー様式の「ワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート遺跡群」は、12世紀ごろに構築されたものと考えられている。
その後、時代とともに改修や増築が繰り返されたという。
一番大きいのが中央塔堂(プラーン)、その周りに後から追加された小型の塔堂や仏塔がある



礼拝堂(ヴィハーン)



破壊された石像が無残に集められている

タイ中央を流れるチャオプラヤー川流域にあるこの遺跡群は、現在よりはるかに海に近かったとする説もある。もしそうだとすればアユタヤと同じく港市国家の一つだったのかもしれない。
インドやヨーロッパなどの西方文化と中国大陸など東方文化を結ぶ交易の中継点になっていたのかもしれない。
メコン下流域の扶南やベトナムのチャンパ、マレー半島やスマトラのシュリーヴィジャヤなどとの関係はどうだったのだろう、と考えだすと時代はトンチンカンかもしれないが古代ロマンは勝手に広がっていく。
またタイ料理の起源を考えると、当時どのようなものをどう料理して食べていたのだろう。昆虫類は重要な食材だったに違いない。2018/2/25